パチプロ

きっかけ
 パチンコにはかなり凝った時期がある.はじめてパチンコをやったのは、広島大学の合格発表予定日であった。その年、入試問題漏洩事件があり、当初公表されていた合格発表日の発表は中止され、翌日も次々と発表時間が遅れ、昼過ぎになったように記憶している.その間、落ち着かない時間で散歩しているときに、パチンコ屋が眼にとまった.すでに高等学校の卒業式の後であり、高校生ではない。「ヨシ!一度やってみよう」・・・・この時、いつ受験結果が発表されるかが気にかかりつつ打った球は、結構な率で釘の間をすり抜けて大勝してしまった。隣で打っていたオジサンが「スゴイネ」と声をかけてきたのだから、かなりのものだったのであろう.「初めてなんですよ」、「それはすごい、才能があるのかもしれない」と言われたことが、その後の学生生活に大きく影響を与えてしまった。

人間的なパチンコ台
 その頃のパチンコ台は今から思えば原始的なものであり、玉は左手で台の穴に弾き入れ、右手でハンドルを使って1球ずつ弾くものであり、玉の補給も台の裏で人間が行うものであった.現在のコンピュータを駆使した台とは隔世の感があり、パチンカーの技量によって出球の数が左右できるものであった。パチンコ台に人間性があり、個人的技能が発揮できる時代であったといえよう.

グラフチャートによる解析
 最初は勝ったものの、それ以降は当然の事ながら悔しい思いをする日々が続いた。そこでパチンコ探求が始まった。最初にやったことは、出玉率の計算であった。玉をリズミカルに打ちながら、玉が穴に入ると15発を加算し、打ち込んだ玉数を引いていく。これをやることによって、頭の中に持ち玉の変動グラフが描かれていく。このカーブは、サインカーブのように波動する。前回のピークと今回のピークを比べつつ、脳裏に描かれた曲線を睨んで打ち込む速度を決めていく。打ち込む速度とねらう穴を変えつつ、台を攻略して行くわけである。慣れると、隣の人と話ながらでも頭の中では自動的にグラフが描かれていくようになった。ここまでになると、かなりの稼ぎになった。

情報と統計が勝負
 しかしながら、仕事として成り立たせるためにはこの程度では確実性がない。どの台が出るか、いつ釘を調整するかの統計を取り始めた。幸か不幸か、自宅を出てバス停に行くまでに4軒ほどのパチンコ屋があった。大学の近くにもたくさんあったので、毎日パチンコ屋を訪問する。たくさんの台を覚えることはできないので、特定の列の出玉状況を記憶する。パチンコ屋から出てノートに記録する。このような地道な情報収集により、特定の台しか玉が出ないことは容易に把握できるし、釘師がいつ調整するかもわかる。

パチプロの仁義
 釘の調子が変わると、その日は絶対にそのパチンコ屋では勝負しない。数日間新たなデータ収集を行ってから、初めて資金を投入する。ターゲットの台がふさがっていると、絶対に打たない。これが鉄則の第一番目である。暇なので、ちょっと打ってみようかという態度では、絶対に高収入を得ることはできない。第二のルールは、1つの店で荒稼ぎしないことである。毎日通って荒稼ぎすると、必ず意地悪される。店員さんの対応もつっけんどんになって居心地が悪くなる。三つ目のルールは、できるだけ時間をかけて、終了させることである。出玉率の良い「サービス台」は外から見えるやすい場所にあることが多い。ちょっと覗いてみて、「オッたくさん出しとるなア!」と思わせる、負けて帰ろうとするとき、もう一丁やるか!と思わせる位置にサービス台があるわけである。このようなサービス台で短時間で荒稼ぎされてはパチンコ屋もたまったものではない。箱を積んだ状態を、ある程度の時間続ける必要がある。これはパチプロの仁義である。短時間で荒稼ぎして帰るときには、店員さんに「今日は時間がなくて・・・今度は頑張るから」と一言かけるぐらいの態度が必要なのである。

お天道様の下で
 3年生の頃であったと思う。掲示板を見ると、学費未納者リストが掲示されており、期日までに納入しないと除籍処分になるとのことであった。期日は明日の午後3時までであった。当時、国立大学の学費は半期分6000円であった。大した金額ではないように思えるが、当時の奨学金は2500円/月であり、大学出の初任給が1万ほどであったように思う。すぐには調達できる金額ではなかった。ポケットには100円しかなかった。その日は、まず100円を300円に増やし、納入期限の当日、開店を待って戦争を開始した。あまりにも短時間に大量の玉を出すので、人集りができ、店員さんがのぞき込む状況になったが、昼過ぎまでに6台ほど終了させ、無事学費を調達することができた。
 これを機会にパチプロから引退した。後味があまりにも悪く、虚しかったからである。それ以降、まったくパチンコをやらなかったわけではないが、負けるのは当たり前であり、楽しませていただいた代金であると割り切ることにした。買った場合には、本を買うことにし、手元に残さないことにした。悟ってしまったのである。以後、生活費や学費はお天道様の下で働くことによって得ることにした。

最近は?
 もう20年以上パチンコをやった記憶がない。ハンドルを回すだけで自動的に玉が発射されていく全自動台になり、さらにコンピュータ管理の時代になって、職人技は通用しなくなり、ボケッとしてハンドルを握っている作業は退屈以外の何物でもない。天候を気にしつつ、店員さんを気にしつつ、台と格闘していた頃が懐かしく思える。青春のしょっぱい想い出の1つである。

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